伝統文化の継承で、
「住みたい」と感じてもらえる地域づくりを

炭焼きで、地元を元気に

昔、この辺りの米原市甲賀地域では、ほとんどの人が炭焼きで生計を立てていました。今はスキー場になっている甲津原の辺りまで歩いて木を切りに行って、炭を作って、そこから国友に渡った炭が鉄砲づくりに使われていたようです。
そんな炭焼きの文化を継承できたら、という思いから炭焼き保存会の活動を始めました。

この辺でも、うちの窯は珍しいんです。
炭焼きはほとんどの場合一口窯なんですが、この場所にはたまたま昔の二口窯の跡が残っていたので、昔ながらの炭焼きの技術を持った地域のご老人に手伝ってもらって、二口窯を復元しました。

この窯は「大正窯」といって、一度に30俵ほど焼くことができます。灰になる量が少ないので効率良く炭が焼けるんですよ。

かつてこの辺での炭焼きは、家族単位で山を移動しながら、その山々に炭焼き窯を作ってきました。「窯打ち」と言って、窯を作る時はお互い手伝いに行きます。
窯ができたら山の木を切ってきて中に入れて焼くのですが、だいたいの窯は天井部の部分を赤土で叩いただけですから、ひと冬かふた冬で屋根が落ちてしまうんです。ものすごく高温で焼くので、ヒビが入って割れてくるんですね。

蒸し焼きのような感じで最後は、窯の火焚き口の蓋をして真空状態にするのですが、そうすると中が見えないので全部ちゃんと焼けているかわからない。だから煙突から出る煙の色で判断します。

まず、窯内の原木を炭にする為に最初は、窯の火焚き口からドンドンと焚きます。最初は白い煙が出てきて、一日ほど経つとそれが青みがかった煙に変わってきます。焚き口を徐々に小さくして火力を調整しながら、また一日焚くと今度は陽炎みたいに透明な煙になってくる。それが焼き上がったサインです。

でき上がった炭は箱詰めにして販売しています。ダンボールにプリントされている絵は、米原で活動されている切り絵作家の早川鉄兵さんの作品。
購入は電話でできますし、お店だと吉槻にある立澤商店や、道の駅にも時々置いています。これからは、インターネットでの販売も始めようと考えています。

ゆくゆくはこの活動を成功事例にして、「自分も入りたい!」と言ってくれる仲間を増やしていきたいと思っています。
目標は、地元を元気にすること。炭焼きをイベントにして、県外から人を呼び込み、地域の魅力を知って移住してもらうのが最終目標です。

取扱商品一覧

大正窯でつくる木炭 5kg

昔、米原市甲賀地域では、ほとんどの人が炭焼きで生計を立てていました。 今はスキー場になっている甲津原の辺りまで歩いて木を切りに行って、炭を作って、そこから国友に渡った炭が鉄砲づくりに使われていたようです。 そんな炭焼きの […]

山の手入れが地域を守ることに繋がる

炭作りで一番大変なのは、やっぱり木を切る作業。昔の人はよくこんなの手作業でやっていたな、と思います。
木は左右対称じゃないので、枝がたくさんついている重い方に倒れるんです。だから全然思うように倒れてくれない。木に登ってワイヤーをかけておいて、切る時にバランス良く引っ張りながら安全な方に倒すのが難しんです。

生木は水分を含んでいるので重いんです。だから運ぶのも大変。
炭焼きに適しているのは硬い木で、うちで使っているのはドングリのなるナラの木です。山を登る時は滑らないように、スパイク付きの地下足袋を履いています。

木を切って、山に陽が入ると新しい芽が出てきます。山はそうやって、手入れをし続けないといけない。
木は切らないと伸び続けますが、ある程度大きくなると枯れて腐ってしまって、それが倒れると山が荒れて人の入れないような状態になってしまいます。そこに山崩れなどが起こると、倒れた木が山から流れてきて川をせき止めて災害の原因になる。
それに、獣害もあります。木が密集しているとシカやイノシシは姿が見えないので山から町に下りて来やすくなります。だから、山に人が入って手入れをすることが、山や地域を守ることに繋がるんです。

食文化保存会の活動

もうひとつの魅力として東草野地域の食文化があります。
この食文化とこの地域で採れる野山の幸を守るため、地域の方々とともに「食文化保存会」を立ち上げ活動しています。

このあたりの20~30年前は、2階建の一軒家がすっぽり埋まってしまうほどの積雪量でした。特に甲津原の奥山は、標高が高いので、雲が下にあって、雪も下から降ってくるんですよ。
外出もできないほどの積雪になるので、ひと冬越すために春〜秋に収穫した野山の幸を塩漬けしたり天日干しにするなど、保存食の知恵が大変充実していました。
厳しい寒さを快適に暮らすための努力と工夫が数十年前まで行われていましたよ。

野菜を保存するときには、雪の冷たさを利用して土の中に葉物や根菜を保存する「土中貯蔵」方式が取り入れていました。
この保存方法をすると野菜の甘みが増してとっても美味しいんです。

近年は、積雪量も少なくなり、稀に40~50㎝積もる時もありますが、除雪機があるので、道は直ぐに空きます。
自動車や機械のお陰で生活は楽になりましたが、昔の山菜の食文化を残そうと、保存会で活動しています。


このあたりの20~30年前は、2階建の一軒家がすっぽり埋まってしまうほどの積雪量でした。
特に甲津原の奥山は、標高が高いので、雲が下にあって、雪も下から降ってくるんですよ。

外出もできないほどの積雪になるので、ひと冬越すために春〜秋に収穫した野山の幸を塩漬けしたり天日干しにするなど、保存食の知恵が大変充実していました。
厳しい寒さを快適に暮らすための努力と工夫が数十年前まで行われていましたよ。野菜を保存するときには、雪の冷たさを利用して土の中に葉物や根菜を保存する「土中貯蔵」方式が取り入れていました。
この保存方法をすると野菜の甘みが増してとっても美味しいんです。

近年は、積雪量も少なくなり、稀に40~50㎝積もる時もありますが、除雪機があるので、道は直ぐに空きます。
自動車や機械のお陰で生活は楽になりましたが、昔の山菜の食文化を残そうと、保存会で活動しています。

地域ならではの魅力を、たくさんの人に伝えたい

地域の魅力は、やっぱりこの風景。山紫水明で、空気と景色がきれいなことが一番の売りでしょう。山の風景がイタリアに似ていると言う人や、自然の魅力を感じて移住してくる人もいます。

山の暮らしは楽しいですよ。山で作業をした後に食べる昼ごはんが、また美味しい。この体験はやみつきになります。
ここで暮らすと、他ではなかなかない景色が見られると思います。

また、米原市は新幹線も高速道路も通っていて交通の便がすごく良い。
こういった地域の魅力がもっとたくさんの人に伝わればいいなと思います。